新嘗祭は作物に感謝する儀式 | 自然治癒力研究所のブログ

自然治癒力研究所のブログ

心と体の癒しのブログです。

作物の大切さや感謝の気持ちについて、メルマガ「本当の日本を取り戻すメール新聞」からの抜粋です。

 

新嘗祭というのは、天皇がその年に収穫された米などを神さまに供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神さまからの賜りものとして自らも食する儀式です。 

このように日本では古くから、五穀の収穫を祝う風習がありました。 

 

 

五穀に限らず、サツマイモ、サトイモ、ジャガイモ、落花生とかもですね。 

こういう古くから人間が食べていた作物というものは、人間と密接なかかわりがあったわけです。

 

太陽の中に神を見て崇拝することで天照大神が生まれ、食事の中に神を見て崇拝することで豊受大神が生まれ、桜の花の中に神を見て崇拝することで木花之佐久夜毘売さまが生まれたように、作物の中に神を見て崇拝することで作物が崇高なものになっていった歴史があると思います。

 

作物に感謝を捧げることで、作物が崇高な存在となっていき、その崇高な作物を食べることで人は導かれるのです。

食べ物を食べるというのは、生かされていることを直接的に実感することができることだと思うのです。

 

食べることで有り難いと思える。感謝が出てきます。

感謝された作物が神聖なもの、霊性が高いものになっていくわけです。

そうして霊性の高くなった作物を食べることによって、今度は私たちが霊性を高めていただける、導いてもらえるわけです。

 

人間と神さまの関係と同じことが、人間と作物の関係にも言えるのです。 

作物というのは=神であり、仏です。

 

だから新嘗祭というのは、もしかしたら、収穫した作物を神さまに供えることで、神さまである作物をさらに崇高なものにしてもらい、その崇高な神である作物を食べることによる神人合一の儀式なのかもしれないと思いました。 

 

でもその儀式をしなくても、作物を作る作り手が作物を神さまだと思って、種をまき、草取りし、愛情を込め世話をし、感謝と尊敬を注ぎ込み、見守っているならば、やはりその作物たちが崇高な神さまになっていくと思うのですよ。

もともと作物は神さまなんだけれど、神さまと思って敬い、世話させていただいていると思い、感謝をもって育てていくことで、もっともっと崇高な神さまになっていくと思うのですよ。

 

昔の日本人はみなこのようなことを知っており、農業をやり、料理を作り、食事をしていた、と思うのです。

 

百姓という仕事は神聖な仕事であり、料理を作るという仕事は神聖な仕事であり、食べるという行為は神聖な行為であると昔の日本人なら誰もが知っていたと思うのです。 

 

だから食べるということは、ものすごい神聖なことであって、本当はみそぎをしているようなものなんですね。 

だから食べるときは、作物への感謝、作物を作ってくれた農民への感謝、そして作物を調理してくれた人への感謝が絶対的に必要なのです。 

 

 

-農業の劣化と病気の関係-

 

戦後、農薬、化学肥料を使った、近代農業が導入され、そのような信仰心が廃れてしまいました

よい作物を作るために一番大事なものが忘れ去られてしまったのです。 

 

農協ができ、農協は農民から搾取したので、農民は今度は田畑、作物から搾取しなければならなくなってしまいました。

こうして、神聖な場所である田畑は、お金をかせぐための場所になってしまい、神聖な作物もお金を得るためのものになってしまいました。

 

雄性不稔のF1の種は、霊性が低い土地、そして作り手が霊性が低い人でも作れるようになっています。

 

遺伝子組み換え作物とか、ゲノム編集作物は遺伝子をいじった作物ですから、著しく霊性が下がっています。

そういう意味では、放射線をかけて遺伝子を破壊し品種改良している種が多いですが、そうやってできた品種もあまりよろしくないと考えています。

 

遺伝子というのは、膨大な時間をかけて環境と相互作用した結果であり、その膨大な歴史であり、生命そのものです。

その生命そのものである遺伝子を切ったり貼ったり、傷つけたりすることは、その生命に対する冒涜です。

 

そしてそういう霊性の低い作物を食べることで、私たちの霊性が下がってしまいます。 

もしその食べるものが穢れていたらどうなるか? 

私たちの体が穢れてしまうのです。 そして心が穢れてしまうのです。 

 

私たちが神になるのではなく、食べることで神から遠ざかってしまうということです。

私たちの体と心が穢れることで、体と心に様々な不調となって現れます。 

 

現代、病人で溢れかえっているのは、食べ物の穢れによって生じていると言っても過言ではないかと思います

 

食べるもので私たちの体と心はできているのです。

食べるもので日々私たちの体と心の穢れが浄化されているのです。 

 

生かされていることへの感謝と尊敬、信仰心ですね。これが健康な心で、一方病気の心とは、未解決な感情、怒り、恐れ、悲しみですね。 

 

なぜ、豊受米が美味しいのか。

なぜ黒米が美味しいのか。

なぜ大麦が美味しくて、なぜサツマイモが美味しいのか。

なぜサトイモが美味しいのか、

一人一人が知らなければなりません。

 

 

下記画像をクリックするとホームページに行きます、